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編集後記のようなライター(音楽)のブログ

HIP HOPの黎明期を体感するならNetflixの「ゲット・ダウン」と酒井Pはいった。

Netflixに契約している人がどれだけ居るかわからないが、Netflixのオリジナル映像コンテンツ「ゲット・ダウン」は契約の理由になる映像作品だ。荒廃した1970年代のニューヨークのゲットー(貧困地区)サウス・ブロンクスを舞台に、HIP HOPに熱狂する若者達を描く2シーズン、全11話の青春グラフィティ。途中で打ち切りになったと報じられ、メインストーリーの未完感は感じないことはないが、見どころはそんなところにはない。

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遅ればせながら、本作を私が観るようになったのは、酒井Pがオーガナイズしたパーティがきっかけだった。私はパブリック・エネミーやアフリカ・バンバータなど、エレクトロニカの文脈の通過点としてしか認識していなかった。日本人エンジニアが作ったTR808というリズムボックスとクラフトワークをファンキーだといったアフリカ・バンバータの視点がHIP HOPを生み、テクノに発展したというトピックスだとか、そんなところだ。

ところが、酒井Pが「メッチャ面白いですよ!」とあまりにも熱量多く語るので観てみたらハマった。確かに、これはBボーイでなくとも、音楽が好きな人であれば、夢中になれる。

バズ・ラーマンはカラフルな映像とスケール感のあるセット、魅力的な人物描写とスピード感ある展開で引き込む監督だ。『ロミオ+ジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』『華麗なるギャツビー』など、ゴージャスな世界観で知られるが、『ムーラン・ルージュ』に出演したニコール・キッドマンを起用、ドビッシーの『月の光』をBGMに繰り広げるシャネル「No.5」のCMはことに秀逸のできばえだった。私はこの映像のニコール・キッドマンが『アザーズ』と並んで最も美しいと思う。

 

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本作はそうしたゴージャスな世界観を得意とするバズ・ラーマンにとって新境地というべき作品。格調高いヨーロッパではなく、黒人の貧民街が舞台だ。荒廃したセットを作り上げ、実際のドキュメンタリー映像やアニメーションとミックスさせながらストリートをリアルに表現。加えてHIP HOPやディスコ・ミュージックをベースにしたミュージカル要素が加わり、厚みのあるストーリー展開と演出で観るものを惹きつける。途中、2話ほどみたPKはクラブでの様子を観て『たのしそ〜〜〜!』と叫んだ。

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劇中、時代設定や背景は実際のまま、グランド・マスター・フラッシュやアフリカン・バンバータなど実在する人物が登場。そこにHIP HOPに出会い、差別やドラッグ、ギャングとの抗争など、トラブルと壁と向き合い、恋に葛藤しながら、仲間とともにHIP HOPに熱中する青年たちの青春グラフィティがミックスされ、ドラマは進む。

前のブログにも書いたように、HIP HOPはサウス・ブロンクスの貧困地区から生まれたアンダーグランドな音楽だ。後にHIP HOPは世界中のミュージックシーンに広り、ギャングの抗争やドラッグ、グラフィティやダンスなどの要素がHIP HOPを象徴していたが、歴史の教科書を紐解いているようで実感がなかった。

『ゲット・ダウン』にはその黎明期の様子がリアリティをもって描かれている。地下鉄に描かれたグラフィティに励まさされ、大丈夫か?と不安になるほどのドラッグの取引と吸引シーン。さらに、「ドラマの中で一枚一枚のレコードには『真実』がある。DJはそれを探し当てる(意訳)」そんな言葉があって、シビれた。

音楽に対する圧倒的なリスペクト、先行きの見えないゲットーを生き抜くエネルギーとしての音楽の在り方が見事に描かれている。「NO LIFE,NO MUSI」といった「ライフスタイル」の中の音楽ではなく、命」と直結する音楽の在り方が表現されているのだ。音楽は人間の『命』と引き換えに生まれ、『生活』のなかで育まれる。人はこうして文化を創り出すというリアリティだ。

最近の酒井PのDJプレイの熱量の多さには圧倒されていたが、エナジーのルートはどうやらここにあるようだ。