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編集後記のようなライター(音楽)のブログ

街の灯りと谷崎潤一郎『陰影礼賛』

コピーライターの仕事で照明器具カタログのライティングを担当したときのこと。手がけるカタログの冒頭では「陰影礼賛」をテーマに紙面が展開されていた。

メインビジュアルでは照明器具によって、部屋があかあかと照らされているという絵ではなく、アンダー気味に撮られた落ち着いた空間に照明器具が必要な場所だけをはんなりと照らしている写真が配されていた。

 

『陰翳礼讃』とは谷崎潤一郎が記した随筆集。

 

「陰翳」は光の当たらない暗い部分を指す。「礼讃」とはほめたたえること。日本の近代化にともない、照明器具が発展すると同時に日本の夜から「闇」が失われるなかで、谷崎は「陰影」こそが日本の美の「礼賛」されるべき本質であると本書で先見的に語っていたのだ。

先の照明カタログのメーカーも、かつては高度成長期と同調しながら「明るさ」こそが豊かさの象徴として展開してきた。戦火で荒廃した町に明かりが灯り、日本が明るい未来へと発展していくというイメージだ。その結果、スイッチを入れるとすぐ点灯するインバーターの蛍光灯が生まれ、夜でも昼と見まがうほどの明るさの家庭用照明器具が登場することになった。

しかし、バブル崩壊を経て社会の永劫的な発展に陰りがみえ、西洋的な豊かさに限界がみえ始めはじめた。室内空間においても、「明るさ」だけが豊かさの価値ではなく、「陰影」のなかにも豊かさ、ことに和の美意識が潜んでいるという発想にたちもどったわけだ。

そうしたことから、居住空間や商業空間においても「照明」が果たす役割は変化。そこに「陰影礼賛」というコンセプトがカタログに掲載されることになったのだ。

『陰翳礼讃』電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。谷崎の代表的評論作品で、関西に移住した谷崎が日本の古典回帰に目覚めた時期の随筆である。

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闇の中でこそ映える価値が存在する

「かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢見る如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。(中略)人はあの積みたく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも部屋の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。谷崎潤一郎『陰影礼讃』より」

瞑想的と称した色彩がもたらす羊羹の味わいの本質に触れ、さして美味くはないはずの羊羹の味に深みを与えている暗黒の効果について触れる。ほか、作中で谷崎は昼間でさえ陽が届かぬ屋敷の奥だからこそ、映える女性のお歯黒の美しさを説いている。

そうした、人々の心を明かりをともすべく生まれた蛍光灯照明ははからずとも「陰翳」を土台とした文化を無力化していたのだ。

 

しかし、昨今、『陰翳礼讃』の再評価が功を奏したのか、街のなかお商業空間はいくぶん照度が下がり、闇と明かりだまりが創り出す空間が主流になってきたように思う。

 

陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫)

陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫)

 

 

AIが発達し、ロボットが人に代わって稼働するようになると、居住空間はともかく工場や道路など産業空間は照明の必然性が希薄になり、街はさらに暗くなるのではないだろうか。

地表より満点の星空が際立ち、居住空間でも最低限の照度で人々が営みを果たす未来。そうなると、また新たな陰影の礼賛の在り方が観られるのかもしれない。