Postscript

編集後記のようなライター(音楽)のブログ

森見登美彦と近作『夜行』について

森見登美彦という謎

いまや押しも押されもせぬ流行作家となった森見登美彦だが、彼がデビューしたおり、私は雑誌にて処女作の『太陽の塔』の書評を書かせてもらった。製本される前の段階だったので、なんと校正紙を預かっての書評だった。装丁も筆者の近影や詳細もないまま『太陽の塔』を読んだので、どこまでが天然でどこまでが確信犯か解らず、苦労したことを覚えている。

あれから12年、昨今のインタビューなどを見るに、天然でもなく確信的でもない、森見登美彦という希有な個性が見えてきて、ようやく『太陽の塔』が客観的に捉えられるようになった気がする。校正紙で『太陽の塔』を読んでいるときは、森見登美彦という人が不気味に思えたのだ。

 

f:id:sakutaro8888:20180416220159j:plain

 

太陽の塔

太陽の塔

 

 

『夜行』行方不明者がつないだそれぞれの心の陰り

最新作となる『夜行』は『四畳半神話大系』や『夜は短し歩けよ乙女』で多くのファンを獲得した森見登美彦の作家生活10周年記念となる作品だ。明朗愉快な文体が彼の作品の特徴の一つだったが、本作はストイックな文体で綴られている。


物語は京都で学生時代、英会話スクールに通っていた5人の仲間が鞍馬の火祭りを訪れ、十年ぶりに再会する場面から始まる。実は十年前の鞍馬の火祭りの日、もう1人の仲間であった長谷川さんが忽然と姿を消していた。神隠しにあったかのように消息を絶った彼女に対する喪失感は鞍馬に5人を引き寄せたのだ。貴船にとった宿に集まった5人は百物語を行うようにそれぞれの奇妙な旅の体験を語りはじめた。

とつじょ、家を開けて「変身」してしまった妻を追った尾道、微妙な人間関係をはらんだ旅のメンバーに加わるうちに不可解な展開に見舞われる奥飛騨、鉄道マニアの夫とその友人と出かけ、幼少期の少女の思い出に取り憑かれる津軽、ローカル線で怪しい坊さんと不可解な女子高生と乗り合わせ奇妙な偶然に遭遇する天竜峡

オムニバス形式で物語は進み、最後の章では小説の聞き手であった「私」による鞍馬の章となる。それぞれの境遇の中で語られる体験談は現実と妄想の境目が曖昧だが、長谷川さんとの思い出、増田道生という作家の「夜行」という銅版画、そしていくつかの共通点が錯綜する。それらが、語り手が抱えていた心の陰りと渾然一体となり、触れてはいけないものに触れる快感と相まって読み手を巻き込んでは、闇に吸い込まれるように閉じてしまう。最終章の鞍馬ではさらに不可解な展開をみせ、読者の現実感をも飲み込んで一気に物語の全貌が姿を見せようとする。

「そうだったのか!」という発見「でも…なぜ?」という新たな謎の始まり「ひょっとすると!?」という繰り返し。それは幽霊や魔物が姿を見せない怪談であり、犯人が見つからぬ推理小説というべきか。

どんな本でも繰り返し読むと理解に深みが出るものだけど、本書は繰り返し必須だ。

夜行

夜行

 

 『夜行』の読後感は、『太陽の塔』の校正紙を読んでいた時の不気味さを思いださせた。多くの彼の作品はアジアン・カンフー・ジェネレションのCDジャケットを手がけていたイラストレータ中村佑介によるポップなビジュアルで位置付けられてきたが、正気と狂気の際を一人で歩いているような意識に包まれた本書や、「太陽の塔」の校正紙で見たような、むき出しの彼の作品こそがこの人の魅力のポテンシャルであり、本質なのではないかと思う。