Postscript

編集後記のようなライター(音楽)のブログ

『海街diary』的な感動を期待してはいけない!『万引き家族』という「不可視(invisible)」な人々の物語。

『誰も知らない』『そして父になる』の流れを汲む作品

第71回カンヌ国際映画祭にて最高賞であるパルム・ドールを獲得した『万引き家族』。その華やかな話題から、自ずと『海街diary』を超える傑作」という印象を持つかもしれない。華やかでなくても、「万引き」という言葉からスラップスティックな雰囲気を期待する人も多いだろう。

 

しかし、『海街diary』で女優達が紡ぐ瑞々しさや爽快感を期待して観に行くと肩すかしをくらう。『万引き家族』は、『誰も知らない』『そして父になる』の流れを汲む、「犯罪でしかつながることができなかった」歪な家族の物語なのだ。

f:id:sakutaro8888:20180613105452j:plain

前半は父と母、子ども、そして祖母と母の妹と見ゆる「貧しいが楽しげな家族の肖像」が紹介される。リリーフランキーが家族の土台を描き、樹木希林が厚みをつけていく。

特徴的なカメラの動きは興味深く、自然でリアルな俳優の演技には力量を感じるが、それは映画の技術のことであって、特に面白みはなく、正直間延びする。さらに、貧しかったという監督の原初体験を表現する家族の家の汚さにも辟易した。海外の評論家や映画人は、そうしたシーンに、日本のゲットーに暮らす家族の日常を小津安二郎的なユートピアとして読み取ったかもしれない。

是枝監督が描きたかった「不可視(invisible)」な人々

じつは彼らは「他人」であり、詐欺や万引きなど、反社会的なメリットによって絆を結ぶ「偽の家族」だ。それなりに、働きはするが、必要なものはスーパーや店舗で「調達」する。そんななか、虐待で孤立していた幼女が新たな家族として加わり、家族の一員として溶け込み始める頃、物語が動き始める。固く脆くそして禁じられた絆はある出来ごとをきっかけに終焉へと向かう。

映画は年金の不正受給、万引きを繰り返していた家族、DVや幼児虐待などの複数の事例をモデルに、歪な社会構造があぶり出した状況をジャーナリスティックに描いた社会批判でもある。是枝監督自身も「地域」「企業」「家族」の3つの共同体から「こぼれ落ち、もしくは排除されて不可視の状態になっている人たち」を描いていると語っている。

カンヌ映画祭の審査委員長のケイト・ブランシェットは「今年のカンヌの大きなテーマは『見えない人々(invisible people)』だった」と総括したという。『万引き家族』をすくい取った、そうした視線が世界に存在することに私は感動を覚えた。

私たちの感情にダイレクトにつながる安藤さくらの涙

テレビディレクターとして、多くの良質なテレビドキュメンタリー作品を送り出してきた是枝裕和監督。物語を演出で盛るのでもなく、メッセージを台詞に解りやすく集約させるのでもない。演出が「ささる」というよりも、演技や台詞の奥にある、感情や俳優の資質からにじみ出る「何か」が、映画を見るものの心と地続きになっているように感じさせる。

こうして暮らしている間にも「5歳児虐待死」や「東海道新幹線での殺人事件」などが発生する。そうした後には、加害者の残忍性や被害者への同情など、善悪の判断と表面的な感情で語られることが多い。しかし、そうした事件や状況の背景には必ず「不可視(invisible)」部分が存在する。

場当たりの原因を見つけ、答えを出すことではなく、その背景に対してしっかりと、眼を向けること自体がなにより大切なのだ。

 

後半、半アドリブ的に撮られた安藤サクラの独白シーンがとどめを刺す。彼女はここで彼女は是枝マジックによって女優としてポテンシャルを発揮する。池脇千鶴演じる刑務官から「じゃあ、あなたは(幼女に)なんて呼ばれてきたの?」と聞かれ、大粒の涙ではなく、手で「なんだろうね?」と手で顔を擦りながら涙を流す。
先のケイト・ブランシェットも絶賛したという問題のシーンだが、そこであふれ出た彼女の感情は私たちの心とダイレクトにつながっている。これは驚いた。つまり、泣けた。

 

誰も知らない

誰も知らない

 
そして父になる

そして父になる

 
海街diary

海街diary